晴富の「バラ」

厳選された商品を岡山から皆様へお届けします。 晴富の「バラ」


古代より愛され続ける「バラ(薔薇)」

バラが人類の歴史に登場するのは古代バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』で、この詩の中には、バラの棘について触れた箇所があります。これが、文献上登場する最古の記述といわれています。

古代ギリシア・ローマでは香りを愛好され、香油も作られました。かの有名なプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し、ユリウス・カエサルを歓待したときもふんだんにバラの花や香油を使用したと言われています。

中世ヨーロッパではバラの芳香が「人々を惑わすもの」として教会によってタブーとされ、修道院で、薬草として栽培されるだけとなりました。それほど、魅惑的な香りを放つ花だったのでしょう。

十字軍以降中近東のバラがヨーロッパに紹介され、ルネサンスのころには人々の愛好の対象に再びなりました。 イタリアのボッティチェッリの傑作「ヴィーナスの誕生」のおいてもバラが描かれ、美の象徴とされているほか、ダンテの『神曲』天国篇にも天上に聖人や天使の集う純白の「天上の薔薇」として登場します。またカトリック教会は聖母マリアの雅称として「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)と呼ぶようになります。

今ではごく普通に手に入るバラは、鑑賞用とすることはもちろん、「ローズオイル」を使って、香水の原料やアロマセラピーに用いられています。花弁を蒸留して得られる液体「ローズウォーター」は、中東やインドなどでデザートの香りづけに用いられ、乾燥した花弁はインドのガラムマサラに調合したり、ペルシア料理の薬味として用いられています。

日本とゆかりの深い花「バラ(薔薇)」

日本はバラの自生地として世界的に知られていて、いろいろなバラの品種改良に使用された原種のうち3種類は日本原産です。

古くはバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌が残されています。『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とあり、常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっています。

江戸時代には身分を問わず園芸がはやり、バラも「コウシンバラ」「モッコウバラ」などが栽培されおり、与謝蕪村も「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残しています。 また、ノイバラの果実は利尿作用があるなど薬用にも利用されていました。

このように日本人にゆかりのある植物ですが、バラがいまのように「花の女王」として愛好されるようになるのは明治以降のこと。庶民にとっては、バラは西洋の「高嶺の花」でした。

その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる、東京郊外や京阪神地域の郊外で栽培が行われるようになり、華族や高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々に愛好され始め生産量も増え始めることになります。

ようやくと一般にも普及し始めるのは、大正から昭和のころ。宮沢賢治は「グリュース・アン・テプリッツ(日本名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場しています。

ただ、第二次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が困難になってきましたが、戦後すぐの1948年には銀座でバラの展示会が開かれるほど、愛された花でした。ちなみに、そのときのバラはアメリカから空輸したそうです。

晴富の「バラ(薔薇)」は摘みたて、新鮮です。

晴富契約直営農家である井波恒雄氏は平成17年に農林大臣よりバラの栽培において表彰を受けており、また矢野賞も受賞しています。
一流の栽培農家である同氏は、「害虫の侵入の予感がにおいと肌でわかる」と言います。

その時、花々が悲鳴をあげるのです。農薬の使用を必要な時のみに制限することで木々本来の生命力が美しい花を咲かせます。花々の声を聞くことができる、同氏のバラの美しさと芳香をお楽しみ下さい。




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